2005年10月の参

手前白浜と奥の塩屋が渡し舟で結ばれていました

  新北風(ミーニシ)が吹きました。今季最初の北風です。といっても、やはり日中は暑いです。
  陽が落ちてからは夜風が心地よく、満月でもあり、秋本番へ今宵限りの予告編になりました。もちろん、夜も半袖で過ごしていますよ。

  対岸の塩屋小学校に、グラウンドを照らす強い明かりが見えます。海上に光のラインが流れ、白浜と結ばれます。このラインは、かつての渡船航路そのものでした。
  現在、塩屋湾の入口には、宮城島を挟んで二つの橋が架かり、国道になっています。白浜は、そこから500メートルばかり奥まった場所にあります。
  橋が架かるまで、バスの終点はここ白浜(当時渡野喜屋)でした。これより北に向かうときは、渡し舟に乗り換えていたのです。「ターミナル」なので、食堂などもあって、にぎわっていたそうです。現在のひっそりとした姿からは想像もつきません。
  公民館に、当時の渡し舟の写真が飾ってあります。がっしりした船頭が和船の櫓を握り、湾を横切っています。工房の向かいに住んでいるシゲルおじさんが、その船頭さんだったのです。この写真がなかったら、いつもにこにこしている小柄な「おじい」とだけ思っていたでしょう。
  沖縄の「おばあ」、「おじい」のお達者ぶりが言われます。いきなり老人にはなれません。先輩として沖縄の苦しい時代にそれぞれ活躍なさって、現在のカッコいいお年寄りの姿があるのです。あ、敬老の日、知らないうちに過ぎていました。

  血圧と心拍数が相当に上がった7日間でした。生きているうちに実現しました、千葉ロッテマリーンズ優勝!!! パリーグのプレーオフを制しました。
  前世紀の中ごろ、新人長嶋茂雄の三冠王を阻止したタイガースの田宮謙次郎が、オフにパリーグへ移籍しました。それ以来、大毎オリオンズ(マリーンズの前身)一筋です。31年前に優勝したときは、テレビ観戦に興奮しすぎて、そのあと入院するハメになりました。30年が穏やかに過ぎ、そして今年、久々の興奮年です。
  ローソンに日本シリーズのチケットを買いに行きましたが、手に入らず、千葉に行くのはあきらめました。来週まで、まだ興奮は続きます。無呼吸状態になるんですよ、わがチームのピンチには。いつもの5位争いとかでは、楽に応援できていたのに‥。
  今や、なにごとも「古い」ことしか自慢するものがありません。一糸乱れぬ揃いの声援、揃いのアクションの若いファンとは一線を画し、オールドファンとしての異なった感慨があります。どのチームのファンにも分からない心境でしょう。
  たかが他人のやってる野球をテレビで観て、白けるほど興奮している、鬱陶しくも胡散臭いヤツ。滑稽で哀れなどと見放さず、う〜ん、見逃してくださいませ。



2005年10月の弐

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